漢文読書 blog

漢文読書のためのメモ

夏日西斎即事 司馬光

4月3日、家族で師友のお宅にお伺いして、夕食をいただきました。

座敷へ通され、ちょこんと座ると、
床の間に、菜の花が飾ってあって、
風雅だなあと思いつつ、掛け軸に目を遣りました。

榴花……。やっぱり読めないなぁと思いつつ、読める部分だけを目で追って、
司馬光之詩とあったので、直ぐ検索。

「夏日西斎即事」だということが分かりました。

 夏日西斎即事
 榴花映葉未全開
 槐影沈沈雨勢来
 小院地偏人不到
 滿庭鳥迹印蒼苔
     司馬光

訓読
榴花、葉に映じて未だ全くは開かず。
槐影、沈沈として雨勢来たる。
小院、地偏にして人到らず。
満庭の鳥迹、蒼苔に印す。

私訳
夏の日の書斎にて
開ききらない柘榴の花は緑の葉に映えて
えんじゅの木陰はひっそりとして雨の来る
人里離れた書斎は訪れる人なく
庭先の苔の蒼いっぱいに鳥の足跡があるだけだ。


人見知りの友は、「滅多に人を呼ぶことがないんです。」って言ってたが、
掛け軸の内容は知らないようで。

思った以上に漢詩に出会うもんだと
ひとりにこにこしながら、お食事をいただきました。

続麻婆豆腐

前回の「李白 客中行」
 蘭陵の美酒、鬱金香、
 玉椀、盛り來る琥珀の光。
 但だ主人をして能く客を酔わしむれば、
 知らず、何の処か、是れ他郷。
 李白 客中行
  (国訳漢文大成. 続 文学部第10冊 国民文庫刊行会 編)
の壁面の左側の話。

左の壁を見ると、並んでこうなってる。

 □□□□□
 □□□□□
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□□□□□□
□ □□□□
□ □□□□

こっちは、光の当たり具合のせいで真っ白。
本当に能く見えず、4文字だけ読めた。

 □□□□兩
 □□□□箇
□□□□□黄
甫□□□□□
□ □□□□
□ □□□□

縦書きは書きにくいので、横書きで書きます。

杜甫だ。
これも直ぐ検索。
直ぐ出た。

横書き→
両箇黄鸝鳴翠柳
一行白鷺上青天
牕含西嶺千秋雪
門泊東呉萬里船
   杜甫絶句

夢中で見てたら、家族は食べ終わってご馳走様。
後でまた調べようということで、陳建一専門店を後にした。

以下、訓読。
両箇の黄鸝(こうり)、翠柳に鳴き、
一行の白鷺(はくろ)、青天に上る。
牕(まど)には含む、西嶺(せいれい)千秋の雪、
門には泊す、東呉(とうご)萬里(ばんり)の船。
   杜甫絶句
(国訳漢文大成. 続 文学部第21の上冊 国民文庫刊行会 編 一一四頁)

翠の柳に二羽のウグイスが鳴いている。
一行(ひとつも)の白鷺が晴天高く上っていく。
我が草堂のまどには、千年消えることなき西嶺の雪の色が見え、
門前には、万里東呉に向かって下ろうとする船が泊まっている。

今までこの風雅を感じぬまま、中辛の麻婆豆腐を食べていたかと思うと。
勿体ないことです。

(2022年4月13日 記)

麻婆豆腐

高松サンポートのマリタイムプラザ3階に、陳建一専門店が有る。
そこの麻婆豆腐を目当てに家族で昼食をとりに行った。

少し辛めの麻婆豆腐をいただきながら、壁に目を遣ると、額の中に白いタイル(?)が、

 □□□□□
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□□□□□□
□□□□□□
□ □□□□
□ □□□□

こんな風に並んでるのを見つけた。

前に食事に来た時にもあったと思うけど、今日の光の当たり具合で、何か字が書いてあることに気付いた(白地に白字)。
左端に「李白客中行」と書いてある。ように見える。
右端には「蘭陵美酒鬱金」と。
李白の詩か。即検索。
直ぐ出た。

タイルのまま書くと

 處能珀香蘭↓
李是酔光玉陵
白多客但椀美
客郷不使盛酒
中 知主來鬱
行 何人琥金
 (嗚呼、写真を撮ってきたらよかった。)

なんか不自然。
なんで縦6文字にしたんだろう。
(額と壁に収まらないからなのだろうけど。)

タイルの数を数えると6×4+4=28。

ここでやっと気付く。
7×4=28→ 七言絶句だ(遅過ぎ)。

ということで、面倒臭いので横書きにすると


蘭陵美酒鬱金
玉椀盛來琥珀
但使主人能酔客
不知何處是他郷
李白客中行

こうすると、すっきりする。
七言にしただけで、分かりやすくなった。

タイルをよく見ると、訓点(送り仮名と返点)が打ってある。

麻婆豆腐を口に運びながら、白いタイルを見てた。

こういうのをふむふむと噛み締めながら
昼食を取れるようになりたい、などと思ったり。

以下訓読

蘭陵の美酒、鬱金香、
玉椀、盛り來る琥珀の光。
但だ主人をして能く客を酔わしむれば、
知らず、何の処か、是れ他郷。
李白 客中行
(国訳漢文大成. 続 文学部第10冊 国民文庫刊行会 編)

で、左の壁を見ると、
並んでこうなってる。

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□□□□□□
□ □□□□
□ □□□□

つづく。
(2022年4月12日 記)

講孟余話(旧題 講孟劄記)

(吉田)松陰先生が、どれほど孟子に私淑し、影響を受けていたかを少しだけ見てみようと、「講孟余話」を読んでみた。
手元に本がないため、国立国会図書館デジタルコレクションで、講孟余話(劄記)を検索して、「講孟余話 上」吉田松陰著、廣瀬豊訳注(武蔵野書院、1943)の頁をめくる。

いきなり先生の「気」にあてられる。

引用

講孟箚記 巻の一
第一場 乙卯六月十三日
孟子序説
 史記列伝に曰く、「孟軻は騶人なり。……(略)」
◎孟軻は騶人なり。斉の宣王・梁の恵王に遊事す。
経書を読むの第一義は、聖賢に阿(おもね)らぬこと要なり。若し少しにても阿る所あれば道明かならず、学ぶとも益なくして害あり。孔孟生国を離れて他国に事(つか)え給うこと済まぬことなり。凡そ君と父とはその義一なり。我が君を愚なり昏なりとして、生国を去りて他に往き君を求むるは、我が父を頑愚として家を出でて隣家の翁を父とするに斉し。講孟此の義を失い給うこと、如何にも弁ずべき様なし。或る人曰わく、講孟の道大なり、兼ねて天下を善くせんと欲す。何ぞ自国を必ずとせん。且つ名君賢主を得、我が道を行う時は、天下共に其の澤(めぐみ)を蒙るベければ、我が生国も固より其の外に在らずと。
曰わく、……(略)

(訳)
◎孟軻(もうか、孟子の名前)は騶(すう)の人である。他国である斉の宣王・梁の恵王に仕えた。
経書四書五経)を読むための根本的な意義は、聖人や賢人の言葉に追従しないことが、肝要である。もし少しでも、おもねる所があるならば、……(略)

松陰先生のこの1行目。熱い思いを感じる。
相手が聖人だろうとそのまま飲み込むなと。
この後も熱い言葉が続く。

1行目の衝撃。学而第一を思い出す。ちょっと違うような気もするけど。
肝に銘じて本を読もうと思う。

参考
国立国会図書館デジタルコレクション
「講孟余話 上」吉田松陰著、廣瀬豊訳注(武蔵野書院、1943)
凡例:
 一字下げは、孟子の原文及び朱熹集注の抄録
 ◎は、松陰先生の孟子原文からの引用
 その次が松陰先生の講義文。

至誠

目次

 

吉田松陰

吉田松陰先生を私淑している友人から幕末の話を聞き、「吉田松陰(1)、(2)」山岡荘八山岡荘八歴史文庫)と「小説 吉田松陰童門冬二集英社文庫)を読んだ。
あえて「世に棲む日日」司馬遼太郎(文春文庫)は後回し。

萩市観光協会公式サイトによると、
吉田松陰先生は、

幕末、激動の時代を切り拓いた熱き”志”の指導者
幕末動乱の時代に生を受け、「至誠」を貫き通し、勇敢に行動した吉田松陰松下村塾で多くの志士を育て、松陰は29歳という若さで亡くなりますが、その“志”は塾生たちに受け継がれ、明治維新の原動力となりました。

という、熱い方であります。
生没年は、天保元年〜安政6年(1830〜1859)。

至誠而不動者、未之有也

松陰先生の名言に「至誠にして動かさざる者は、未だ之れ有らざるなり。」という一文があります。
座右の銘にして暗唱されている方も多いと思いますが、これは、「孟子」の中に出てくる漢文であります。

原文:
 至誠而不動者、未之有也。 「孟子」(離婁章句上)

訓読:
 至誠にして動かさざる者は、未だ之れ有らざるなり。

通釈:
 まごころ(誠の徳)を尽くせば、相手が心を動かさないことは、この世に未だかつてないことだ。
この「至誠」という言葉は、旧大日本帝国海軍士官学校である海軍兵学校の5つの訓戒、「五省」の一つ目にも出てきます。

一、至誠に悖る勿かりしか
  真心に反する点はなかったか

「至誠」という言葉を胸に抱いて生きていきたいと思います。


参考文献:
吉田松陰全集 第三巻」(講孟餘話)山口県教育会編纂(岩波書店、1940年)183頁
孟子」(離婁章句上) 内野熊一郎(明治書院 新釈漢文大系4)259頁

 

読書メモとして

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読書のメモ

このブログは、自分の読書のメモです。
漢文を読むことが多くなってきたので、
そのアウトプットとしてのメモを書いてみたいと思っています。

 

妙法蓮華経

最初に見た漢文は、たぶんお経本。
妙法蓮華経 方便品第二と如来寿量品第十六。
白文に読み仮名が付いてた。

 

国語

中学、高校での漢文の授業。
論語の学而第一とか杜甫の春望とかを習った記憶が。
漢文の授業は、特に嫌いではなかったけど、暗誦させられたのは、嫌だったかも。
返り点を打つとか、あまり理解してなかったかも。

 

貞観政要

一応サラリーマンで、社長とお話しをする機会があって、よく本の話をしていたのですが、その中で「貞観政要」の話になりました。
ちょうど、ちくま学芸文庫版の「貞観政要」を読んでいましたので話に花が咲いたのですが、ふと、全文を読んでみたいと思ってしまったのです。
検索すると、明治書院の新釈漢文大系に全文と全訳があるということを知り、近くの本屋さんに行きますと、結構高価な本ですので在庫がないと。
此処で図書館に行けばよかったのですが、ないとなれば、余計で欲しくなってしまいました。
東京出張の際に、ジュンク堂書店 池袋本店で上巻を買いました。
返り点の打たれた原文と読み下し文を見比べながらゆっくり読んでいくうちに、漢文の語順が段々と分るようになってきました。
下巻まで読了した時に、学生の時に理解できていなかった”白文に返り点を打つ”、”訓読する”、が上手くできるようになっていました。
あの頃、コレができていればなぁと思いましたが、今だからできるということなんだろうと思います。当時は、「貞観政要」を読もうとも思わなかったでありましょうから。

 

漢文の参考書

漢文道場(Z会 土屋裕)
精講 漢文 (ちくま学芸文庫 前野 直彬)

あと、明治書院の新釈漢文大系は良い。